【 孫亮の母 】
- 潘夫人は会稽郡、句章の人である。
- 孫権は歩夫人以降、北方移住系の夫人を続けて娶っているが、潘夫人は久々に呉領内からの出身になる。と言っても、彼女は会稽の豪族の子ではない。なんと父親は罪人である。潘夫人の父は元々は役人だったが法にふれて死刑となった。潘夫人は姉と共に、織室(宮中の織物部屋。罪人の娘などが奴隷として入れられていたらしい。)に入れられていた。が、宮中に入った理由が何であれ、これは彼女に取って転機だった。彼女は孫権に魅入られ、後宮入りしたのである。
- 奴隷から皇帝の妻。まさに天地をひっくり返す一発大逆転だが、古来から中国・後宮はこうした一発大逆転史の宝庫である。三国時代だけに絞っても、何皇后は肉屋の娘であったし、曹操の正室・卞氏も元は歌奴である。男子の世界でも家柄云々が強力な力を発揮する時代、しかも女性であればその男社会の流れに身を任せるしかない時代。その中で唯一に近い例外が後宮であり、そこで皇帝に見初められさえすれば、家柄云々も吹っ飛んでしまうのだ。ましてや、潘夫人はこのままなら、一生、奴隷として暮らすしかない。これ以上下がりようがないのだから、一発大逆転にかける野心がその中で沸々と根付いていたとしても全く不思議ではない。
- (注)話は少し逸れるが、古来、肉や皮をさばくとか、歌や踊りを行う事を生業とする家業は奴隷の仕事だった。中国でもそうだったと言う自信はないのだが、日本では間違えなくそうである。私は香川の島の出身なのだが、実を言うと、肉は身分の低い家が扱うというのは、私が生まれた当初まで風潮として存在していた。うちのじいさんは優しい人で人間性は申し分なかったのだが、そんな人でも肉屋を指してあそこはコレだと言いながら、小指だけを曲げて四本指を指した。これはどういう意味か?と言うと、あそこの家は部落出身だという意味なのだ。部落は江戸時代の封建制度の元、最下級に置かれた穢多・非人によって構成された集落で、壮絶な差別を受けていた。ちなみに現在は「穢多・非人」という言葉は差別用語であり使用禁止である。だが、部落の差別史を語る上で、事実を隠蔽する事は返って本当の部落差別史の意味を隠蔽する事になるだろう。差別用語だと言って隠蔽するのではなく、こうした穢多・非人によって構成された部落が実は、閉塞し人口減少に悩む農業集落をあざ笑うかのように人口を増やし、様々な職種技術を獲得し、日本の近代化に少なからぬ貢献を果たした部分をもっと宣言すべきである。皮の靴を編むことも人体を解剖する事も農業集落と武家社会の住人には不可能だったのだ。
- 潘夫人が孫亮を産んだのは242年の事である。孫権が期待してやまなかった皇太子・孫登が死去した次の年だ。彼女は孫亮を身ごもった時、誰かが龍の頭を自分に授け、それをエプロンで受け取ったという夢を見た。この手の逸話は皇帝の伝には必ずと言って良いほど存在する逸話であり、箔つけである。呉夫人が孫策と孫権を産んだ時は、自分の中に月と太陽が入る夢を見ている。孫休はある日、後半分がない龍に乗る夢を見て(後半分がない辺りが実に孫休らしいw)、孫晧には人相見が高貴な身分に上がるだろうと予言している。大多数は後日になってから、実はこうだったという事で付け足された物と思われる。しかし、この潘夫人の夢と言うのは事実かもしれない。というのも、皇帝の子を産むという事は、彼女からすればまさに天が与えたチャンスに違いないのだ。▼