あ行「う」

 于吉(うきつ)

  • 言わずと知れた孫策の謎の死に関わるとされている謎の仙人。正史での記述箇所は孫策の死に関わる部分のみである。
  • 『江表伝』によると、于吉は琅邪の道士(道教の教祖)で,祖先以来,呉郡と徐州を行き来して精舎(道教の教会)を作り、香を焚き道教の教典を読み、符と聖水を用いて病気の治療を行っていたという。このやり方はこの頃の道教特有のやり方らしく、太平道も五斗米道もこういう病気治療のやり方をしていた。于吉もそれらと同じくする呉・会稽郡に拠点を持つ道教の一宗派だったと思われる。
  • ある日、孫策が集会を開いていたら、于吉が通りかかり、部将の三分の二が于吉に礼拝したと言う。それを見て孫策は于吉の殺害を決めた。于吉を信仰する者たちは于吉の助命嘆願を孫策の母(呉夫人)の元に遣り、呉夫人も『于吉先生を殺してはならない』と言うが、孫策は『こういうのは混乱の元になるから』と言って于吉を切らせたと言う。しかし、この江表伝の記述はこの後に注として書かれている『志林』により、記述の矛盾が指摘されており、信憑性に欠ける。さらに言うと、部将たちが君主を前にして道教の教祖に礼拝をする訳もなく、かなり怪しいと言ってよいだろう。
  • さらに『捜神記』という、オカルト集の書物によると、孫策が許都急襲計画の準備中の時に、日照りに遭った。部下たちは于吉の元に集まって、雨乞いを頼んでいた。孫策は兵を惑わす者として于吉を捕らえ、『もし雨を降らせる事ができたら許してやろう。』と言う。するとにわかに空が暗くなり、どしゃ降りの雨となった。しかし、孫策は于吉を許さず殺して人目につかない場所に死体を置いておいたが、次の日になると死体は行方知れずになっていた。さらに于吉を殺してから孫策が一人でいると于吉の亡霊が現れるようになり、于吉の呪いにより孫策は死んだ・・・とある。まあ、捜神記もオカルトの書物であり信憑性は低いが、二つの書物に孫策と于吉の関係が書かれているとなると、少なくとも
    • 孫策が于吉という者を教祖とする道教の勢力を潰した事。
    • 于吉の勢力の撲滅と孫策の死をその頃の人々が結びつけた事。
    の二点は信じて良いだろう。孫策は于吉だけでなく、笮融のような仏教徒やその他の宗教勢力・山越族・地方勢力らをしらみ潰しにしており、孫策の死を当時の迷信を信じる人々から見ると、それらの者たちの恨みにより呪われたと噂したであろうことは想像可能である。
  • さて、于吉には孫策を呪い殺したという勲章?の他にもう一つややこしい事実を持っている。于吉というのは実は太平道の伝説上の始祖なのである。
  • 漢の順帝の時、琅邪の宮崇(きゅうすう)と言う者が、その師の于吉が手に入れたという『太平青領書』と言う書物を献上した。この太平青領書こそが太平道の教典であり、後の張角らの一派の本流に当たる人物なのである。と言うことで捜神記の記述を鵜呑みにすると、黄巾の乱は太平道の反乱でありながら、始祖である于吉を無視して、弟子に当たる張角らが起したという事になる。こりゃどう考えてもおかしい^^;。さらに『志林』によると、もし于吉がこの頃まで生きていたとなるとすでに于吉は100歳近い大老人である。
  • と言うことで^^;。孫ぽこ的には、呉書に出てくる于吉が太平道の伝説上の始祖である于吉と同一人物とはとても思えないのである。同じ琅邪出身なので、なんらかの関係はありそうだが、可能性としては
    • 于吉の子孫が代々『于吉』を名乗っていた?
    • 実は呉書の于吉は『于吉』の名を語る偽物だった?
    こんな所じゃないだろうか?孫策がためらいもなく殺害している所を見ると2の方ではないかという気はする。

 于茲(うじ)

  • 于茲君は、笮融の部将です。孫策のやられ役2の于糜君とはたぶん兄弟か一族かなんかでしょう。于茲君は「おーい!!孫策が流れ矢に当たって死んだらしいぞ!!」という噂を聞きつけ、孫策軍の追撃に出ます。主を失った孫策軍は戦う気力もなく、逃げ回るのみ。于茲君は「やったー!!オレってもしかして英雄?」と思ったでしょう。
  • ところがです。アレレ??いつの間にか孫策軍に囲まれてない?エッ?あれって孫策?・・・って死んでねージャン(T▽T)。もしかしてオレってただのやられ役??
    結局、于茲君は孫策に良いようにやられまくりましたとさ。お終い♪

 于詮(うせん)

  • 諸葛誕が寿春で反乱を起したとき、諸葛誕救出のために派遣された呉の将軍の一人。諸葛誕と呉の軍は、胡奮軍によって撃滅。最後に残った諸葛誕旗下の兵、数百名は、【諸葛公のために死ねるのだから心残りはない。】と言って、一人ずつ斬られていった。
  • 最後まで呉の救援軍として残っていた于詮も、【大の男が君主から命を受け、兵を率いて人を救おうとしながら、敵に降るなどワシの取る道ではない。】と言って兜を脱いで敵陣に斬り込んで死んだという。

 于糜(うび)

  • はーい。孫策のやられ役一族の于茲&于糜のカタワレでーす♪名前からして【うじ&うび】なんて、ホントやられるために出てきたような名前でしょ(T▽T)。
  • そんな僕も、孫策がやってくるまでは、仕事キッチリだったさ。ちゃんと孫賁・呉景の侵入を押さえていたし。ところが孫策が現れてからは、良いようにやられ放題(T▽T)。奴ってば、信じられねー事ばっかするんだもん。普通、船がないのに葦の筏で攻めてくるか?攻め落としたばかりの砦に急襲かけるか?そんな奴に凡人のうじ&うびが歯が立つ訳ないでしょ^^;・・・どうせやられ役だもんイジイジ(/_;)。あっちなみにレッツゴーやられ役で張英殿を加えて、デビュー予定です♪応援してね♪