【 才色兼備 】
  • 第一話は呉夫人と関係のない話をしてしまったので、深く反省して第二話では呉夫人がらみの話を^^;。
  • 呉夫人は、呉郡呉県の人。後に銭唐に引っ越ししたらしい。弟に呉景がいる。
    さて、呉家はどれくらいの家柄だったのだろうか?いわゆる呉の四姓の中に呉姓はなく、大豪族という訳ではないようだが、孫堅の呉夫人への求婚に対して親戚がこぞって反対している事や、合浦太守だった事がある王晟(おうせい)ら呉郡・会稽郡の豪族と孫堅の間に交流が見られる事などを考慮しても、それなりの規模の家柄ではなかったか?と推測できる。
  • 孫堅が名を広めるのは黄巾討伐以降の事であり、それ以前は海賊を退治したり許昌の乱を平定したりしたとは言え、所詮は県の丞(県令の補佐役)に過ぎず、無数にいる若手士官の1人に過ぎない。だから孫堅の呉夫人への求婚は親戚から見れば身分不相応であっただろう。また王晟らと孫堅の間に交流があったとすれば、孫堅が呉郡にいた184年以前の事であり、その当時の孫堅には前合浦太守と交流が持てるほどの名声はない。つまり、母方の呉家の方のメームバリューで交流を得ていたと考えるのが自然ではある。となると、大豪族とは呼べないまでも、呉家はそれなりの家柄で財を得ていたと考えて良いだろう。
  • さて、呉夫人は銭唐に引っ越ししてから、不幸にも両親とも失ってしまう。呉夫人の両親が亡くなったのは、呉夫人が孫堅に嫁ぐ以前であり、当時の女性のほとんどが10代で嫁ぐ事を考えれば、呉夫人の両親が亡くなったのは遅くても10代の前半、下手をすれば10代にも満たない時期の事だっただろう。両親とも亡くなるとなると、疫病か戦乱に巻き込まれるかである可能性が高いように思うが、当時の呉郡はカルト宗教勢力や山越賊、はたまた海賊が横行する地域であった事を考えると、そういった勢力の抗争に呉家自体が巻き込まれたのかもしれない。そう言えば、孫堅の海賊退治のエピソードは孫堅が銭唐に行った時の話だ。当時、孫堅は17才であり妻を娶ったとしてもおかしくはない。と言うより当時では適齢期だ。このあたりで孫堅が呉夫人を見そめた経緯があるとすればラブロマンスとしては、なかなかに面白い。
    • (注)少し別の視点から。呉家はなぜ銭唐に引っ越したのか?今の引っ越しと同じ感覚で語ることはできない。当時は土地と家というのはほぼ一体で、よほどの事がないと引っ越したりしない。諸葛家は引っ越しをしているが、それはやむを得ない事情があってのことだ。普通に考えれば、これ以上、呉県にいてもどうしようもなくなり、移動したと思われる。で、しかもその状態で両親が死去しているのだから、呉家は存続の危機にある。その状態で孫権と呉夫人が結ばれている。つまり、孫堅の武を頼りに呉家を盛り返すという意図は感じられる。
  • 話を進める。早くから両親を失った呉夫人は、弟の呉景と二人で銭唐の家に住んでいた。後に孫家の躍進に一役買う呉景も当時は呉夫人より年下な訳で、これまた10代にも達していない可能性が高い。実質的には呉夫人が家の切り盛りをしていたのかもしれない。いずれにしても若い時から苦労をしていた呉夫人はしっかり者であり、才色兼備であったと書かれている。孫堅はその呉夫人を見そめて求婚をするが、呉夫人の親戚たちは猛反対をする。
  • 反対された理由は、前述の家柄の不釣り合いの問題があるだろうが、それ以外の要素を見ると、【親戚たちは孫堅の軽薄で抜け目のない性格を嫌っていた】とある。劉曄伝にも出てくるのだが、この手の軽薄さとは、海賊稼業や武を頼りに威勢を振るう輩を指しているらしく、要するに海賊や山賊たちと孫堅は同類に思われていたという事だ。それに対して呉夫人は【なぜ1人の娘を惜しんで家に災いを招こうとするのですか?私が嫁入り先で不幸になることがあってもそれは私の運命です。】と答える。この返答を見るに、呉夫人の両親の死亡の原因に、こうした【軽薄な輩たち】が加味していてそうな気がする。また親戚にはそう言っても、気性の激しい呉夫人が無道の人の嫁になることを選ぶ訳もなく、呉夫人には孫堅が海賊・山賊たちとは種が違う事は察していたのではなかろうか?
  • こうして、【不幸になったとしてもそれは私の運命よ。】と言って、孫堅に嫁いだ呉夫人だが、実際には孫堅と呉夫人は良好な夫婦仲であったと思われる。孫堅の子には孫策・孫堅・孫翊・孫匡・孫朗・それに劉備の妻となった孫夫人の5男1女がいるが、そのうち孫朗を除く4男1女が呉夫人との間に生まれた子であり、孫堅は呉夫人以外の女性との関係というのがほとんど見られない。曹操などは若い時から女性遍歴がある事を考えても、孫堅は当時では珍しいタイプかもしれない。ただし、この孫朗という正史にたった1人見られる呉夫人以外との間に生まれた子の存在が、呉夫人と呉国太という二人の女性の誕生と言う、呉夫人にとってあまり名誉とは言えない逸話が出来上がる事になる。