【 エリート中のエリート 】
- 劉繇。字は正礼。光栄三国志シリーズにも定番となっている群雄でありながら、繇などという、やたら難しい漢字が入っているため、[月缶系]なんて一般人が見たら訳の分からない分解文字が出現したり、「劉曄と区別がつかーん(T▽T)」というだけで、邪険にされているかわいそうなお人である。
- だいたい劉繇の評価というのは低い。まあ最低ラインの評価と言ってよいだろう。演義でも孫策に良いようにやられ、太史慈を冷遇し、最後はどっかに落ち延びて行方知れず。蒼天航路でも、バカ丸出しで孫権のペットの虎に自分の城の周りを追い回されるという^^;非常に情けない役回りとなっている。しかし、正史を見てみると、軍事的な能力はともかく、政治面・大局的な戦略面ではなかなか優れた人物という印象を強く受ける人物なのである。
- 劉繇は東莱郡(青州)の牟平の出身である。元々の祖先をたどると斉の孝王(劉邦の孫)の末息子が牟平侯に封じられて以来、代々牟平に居住するようになったのが始まりらしい。つまり劉繇はレッキとした皇族である。イマイチ素性の怪しい劉備とは血統が違うと言える。さらに後漢末になると、劉繇の祖先になかなかに優秀な人材が出現する。
- 劉繇の祖父にあたる、劉本(りゅうほん)は経書の解釈を習い広く書物を学んで、通儒(広い学識を持つ学者)と呼ばれ、平原郡般県の県令に任命されている。さらに劉繇の叔父に劉寵(りゅうちょう)という人物がいる。彼は父・劉本の学問を受け継ぎ、四行(敦厚・質撲・遜譲・節倹の四つ。人物評価の規範になる。)を備える者として認められ、済南郡・東平陵県の県令に任じられている。彼は済南郡東平陵県の県令として名をはせた後、会稽太守となった。会稽郡でも劉寵の施政は広く万民に支持され、劉寵がお役ご免となり、中央に召される事になった時には、山奥に住む老人が見送りにやってきて(山陰県の民とあり、おそらく山越賊と思われる。つまり劉寵は山越賊に対して敵対ではなく、共存を選んだのだろう。そのために郡全体の治安は上昇したと考えられる。)劉寵に感謝の意を込めて、多くの餞別を送ったのだが、劉寵はその中から一銭のみを受け取ったという。その事から会稽郡では、劉寵の事を『一銭取りの太守』と呼んだ。中央に召された劉寵は、四度も三公の位につくほどの大物となったという。
- さらに劉繇の父・劉輿(りゅうよ)も、山陽郡太守となっているし、劉繇の兄、劉岱は兗州刺史として反董卓連合の諸侯に名を連ねた人物である。まさに劉繇はエリート中のエリートであったと言って良いだろう。
▼