【 なぜか孔融に見込まれる 】
- 上奏文破り捨て事件で、逃亡の身となった太史慈であるが、この事件をきっかけとして、ある意外な人物から評価される事となる。その人物とはなんと、孔子の子孫・孔融である。
- 孔融と言えば、隠れなき、名門中の名門。ところが、彼の人物評価はちょっと変わっていて、禰衡のような偏屈者を大人物であると評価したりしている。要するに変わり者が好きだったのだ。結局、そのデタラメな人物評価が身を滅ぼす原因の一つとなっているのだが、この時点で太史慈が孔融に評価されたのは、ラッキーと言えるかもしれない。とにもかくにも、太史慈は上奏文を破り捨てると言う、普通に考えれば非難されるべき事で、孔融という大人物に見込まれた。
- 孔融は太史慈が遼東に逃亡している間にも、太史慈の母にご機嫌伺いをさせ、贈り物を届けさせた。また太史慈は遼東にいる間にも、孔融によって推挙された邴原という人物がらみで、劉政という人物を公孫度からかくまうという事件の一端に加わっている。どうもこの頃の太史慈は孔融関係の人物ラインの一端に組み込まれているようだ。
- さて、太史慈が劉政と共に、故郷の東來郡に帰ってくる頃には、孔融は黄巾軍の管亥の攻撃を受けていた。太史慈が家に帰ると、太史慈の母は
- 「孔融殿はお前と面識もないのに、お前がいない間、生活上の心遣いを頂きました。その孔融殿が今、 賊の包囲を受けています。さあ!!太史慈よ今すぐ孔融殿をお救いしなさい!!」
太史慈の方も太史慈で、- 「ヨッシャ!!分かったぜ、母ちゃん!!」
- 孔融に目通りした太史慈は早速、兵士を借りて賊を討ちたいと申し出る。しかし孔融はそれを許さず、外からの援軍を待つことにする。だが、管亥の包囲網は日に日に厳しくなる。そこで孔融は平原の相・劉備に援軍を請う使者を立てようとするが、その頃になると城から外に出るのも難しく、誰も使者の役を引き受ける者がいない。
- こういうシュチュエーションで太史慈の血がたぎらない道理がない(笑)。太史慈は自分がその使者となると申し出る。孔融は
- 「現在、賊の包囲は大変厳しく、城から出るのは不可能だと誰もが言っている。貴方の気持ちは嬉しい が、無理なんじゃないかな?」
- 「貴方様は我が母のために、周到な心遣いを頂きました。その母が私をここに行けと言ったからには、 私が役に立つと考えたからでございます。もしここで私も無理だと言ったなら、貴方から賜ったご恩 義と母の期待に背く事になります。事態は予断を許しません。どうか迷われませんように。」