【 百発百中の矢 】
- 完全包囲中の城からの決死の使者という壮絶な武官デビュー戦となった太史慈であるが、無茶の中にも彼なりの勝算があった。【弓】である。彼は弓術には絶対の自信があった。後の話しになるが、太史慈が孫策と共に賊の討伐に出かけた事がある。その時、賊の一人が砦の中の楼閣の上から、悪口を浴びせた。その賊は楼閣の棟を手で掴んでいたが、太史慈はおもむろに弓を取り出すと、矢を一閃。なんと太史慈の矢はその賊の手を貫いて棟に突き刺さったと言う。まさに百発百中の矢である。
- その弓術を太史慈は利用した。太史慈は二人の従者を選び、それぞれに弓の的を持たせて、おもむろに城門を開けて外に飛び出した。当然、包囲している黄巾軍は何事かと押し寄せてくる。そこで太史慈は従者に持たせた的をポンポンと射抜いて、何事もなかったように城内に帰ってしまった。黄巾軍は唖然としただろうが、なんかのデモンステレーションだろうと解釈する。次の日も太史慈は同じように従者二人を連れ、的を射ると城内に帰っていった。そうなると包囲中の者たちも【またか】という訳で大して気にしなくなってきた。でもって、三日目の朝、前日と同じように太史慈は城外に出たが、もう包囲軍の連中も特に気にせず、臥たまま立ち上がる者はいなかった。すると太史慈は一気に馬を駆け、囲みを抜け出してしまったのである。賊たちは慌てて後を追うが、太史慈は追ってきた数名をあっという間に射殺してしまったので、気後れして誰も追いかける者はいなくなった。太史慈はマンマと油断を誘い、脱出に成功したのである。
- こうして太史慈は平原の劉備の元に到着すると援軍の依頼をする。劉備はすぐさま3000の兵を太史慈に与え、孔融の救援に向かわせた。太史慈はその3000の兵を率いて都昌城を包囲する黄巾軍に攻撃をかける。城内の軍と外の軍との挟撃を恐れた黄巾軍は包囲を解いて退却した。こうして太史慈は見事に孔融の危機を救ったのである。孔融は太史慈を【若き友人】と呼び、以前にもまして太史慈を優遇した。
- こうして互いの信頼を深めた孔融と太史慈であるが、奇妙な事に太史慈と孔融の信頼関係はここで終末を迎える。どうやら太史慈は孔融を見限ったようなのである。
- 孔融はその博識と教養は高く世間から評価されていた。だが、実務がいい加減で、風変わりな人間を好んで用いるという欠点があり、北海の相として黄巾賊に対して有効な手だてが取れないばかりか、最後は袁譚の攻撃を受けて、結局、身一つで北海郡を捨てて逃亡したのである。おそらく太史慈は孔融が自滅していく様を見て、仕えるに能わず・・と判断したのではないでろうか?このあたりが太史慈を持って【忠義の士】とは呼びがたい一面でもある。彼は後に劉繇の元でも、劉繇の限界を見ると、独立してしまう。君主が無能と判断するやサッサと見限ってしまう一面を彼は持っているのである。 ▲▼