【 一発触発 】
- 諸葛誕救出作戦が失敗に終わった後,いよいよ孫亮と孫綝の主導権争いは佳境に突入していった。孫亮にしてみれば,諸葛誕救出作戦の失敗は孫綝の影響力の低下という意味からも大チャンスであっただろう。諸葛誕救出作戦については,孫亮は軍の派遣は支持したと思われるが,その軍の運用に関しては孫綝が全権を委任されていた状態であった。しかも孫綝は孫亮に許可なく朱異らの殺害を行っているのである。孫綝も帰国後は,身の危険を感じたのか,病気を理由に参内しない事が多くなる。
- しかし,そこからが孫綝である。孫綝は建業郊外の朱雀門の南に私邸を建て(建業の町の作りは分かりませんが,朱雀というのは南の守護神ですから,朱雀門は南の大門でしょう。平安京などでは朱雀門はいわば正面玄関です。建業も同じ作りと考えると,孫綝は建業の正面玄関の入り口に自分の私邸を建てた事になります。),さらに弟の孫拠(そんきょ)には青龍門(青龍は東の守護神。つまり東門ですね。)の宿営に当たらせる。また,兄弟の孫恩(そんおん)・孫幹(そんかん)・孫闓らには建業周辺に軍営を置かせた。つまり,宮廷で変事が起こった時に即座に一族が集結できるようにすると共に,宮廷内部への圧力を強めた訳である。
- それに対し,孫亮も孫綝の勢力の切り崩しにかかる。孫魯育殺害事件の主犯として,孫綝と婚姻関係のあった朱熊(しゅゆう)と朱損(しゅそん,孫綝の妹を妻としていた。)の兄弟を拘束したのである。朱熊と朱損はそれぞれ,虎林(長江沿いの丁度荊州と揚州の境目にあたる。)と建業郊外の督(隊長)であり,特に朱損の方は建業郊外に軍営を持っていた事から,孫亮としても捨て置くには危険が大きかったのかもしれない。孫綝は参内して処刑を取りやめるように進言するが,孫亮は取り合わない。もはや衝突は必死となる。
- この事態で先に動いたのは孫亮側であった。孫亮は孫魯班・全尚・劉承らと共に,孫綝誅殺の計画を企てるのである。が,不思議な事に孫峻も孫綝も,なぜかこういった誅殺計画の露見にだけは凄まじいあざとさを見せる。この計画もまた事前に事が発覚するのである。
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- (注)不思議でもなんでもなく、「能力がある」から孫峻の後任になったのであり、滕胤・呂拠排斥の目敏さを見ても、目前の事態に対する機敏さは見て取れる。しかし、孫峻と異なり、大局は見えてない感じがする。それと行動が軍事的・破壊的である。目の前にある事態に対する対処は素早く目敏いのだが、その行為の結果、何を生み出すか?ということまで目が行っていない。皇帝廃位なんてことを行ったら、そりゃ、周囲の目は厳しくなる。有力豪族とはうまく行かないので、身内しか使えなくなる。身内しか使えないので身内を高位につけるが、それもまた有力豪族との関係を壊すことになる。これが大将軍・丞相という破格の権力集中を受けながらも、大きな政変のなかった孫峻と、結局身を滅ぼした孫綝との違いかもしれない。