【 孫亮外伝 】
- 彼の治世は大変短い期間だったので,ほとんど孫亮の政策というのはない。皇帝の直属軍を作った事と,孫綝誅殺に失敗した事くらいである。しかし,彼のエピソードはほとんどが彼の優秀さを示す物であり,非難があるのは孫綝が発した言葉くらいである。もちろん孫綝は孫亮の非難材料をかき集めた訳で,その非難材料はかなり眉唾ものだということは分かる。
- 孫綝は孫休に当てた手紙の中で,孫亮が皇帝に相応しくない所として以下の点を挙げている。
- 美色を好み,役人や民衆の中から美しい者を選んで後宮に入れた。
- 勝手に軍を創設して宮中で演習を行い,槍や矛など大切な武器が遊び道具にされた。
- 孫魯育殺害の張本人は孫魯班なのに,朱拠の息子である朱熊・朱損を私が必死に諫めたのに殺してしまった。
- 宮中で船300艘を作り,それを金銀で塗り固めたため,技術者は休む暇もなかった。
- 朱熊・朱損殺害については,孫綝一派を粛清するという意図があり,これも非難材料としては弱いが,孫魯班には上手にあしらわれた感は確かにある。結論として,孫亮は美人に弱かった^^;という事が言えそうである。しかし,それは孫権も同じだなぁ^^;。やはり血は争えない,という訳ですか^^;。
- さて,孫亮のエピソードを後二つほど。
孫権の子,孫奮は孫亮の兄にあたる。その孫奮であるが,諸葛恪が誅殺された後,あわよくば自分が政権を奪取してやろうと考え,建業に乗り込もうとした。しかし,それを謝慈(しゃじ)らに諫められ,それに怒った孫奮は彼らを殺害してしまう。その事を罪に問われて庶民に身分を落とされていたのだが,孫亮は自分で政治をみるようになると,孫奮を許してやりたいと考えた。そこで『孫奮を今すぐ王に戻すのは問題があるとしても,侯くらいにしておくのには何の問題もないだろう。私の兄弟は皆,部将となって長江沿いに土地を持っているのだから,孫奮だけ別と言うわけには行かない。』として,孫奮を章安侯に封じた。意外に兄弟思いの一面もあるようだ。 - 孫覇(孫権の息子,孫和と二宮の変を起こした。)の息子に孫基(そんき)という人がいる。歳的には孫亮より若いくらいだろうか?その孫基が,257年に皇帝である孫亮の馬を盗んで走ったという事で罪に落とされる。たぶん孫基にしてみれば,とても良い馬がいたので乗ってみたかったというだけだろう。孫亮も心情的には許してやりたいが,法を曲げる訳にはいかない。そこで侍中の刁玄(ちょうげん)との間で微妙なやり取りが見られる。
- 孫亮 『皇帝の馬を盗んで走ったら,どういう罪になるのか?』
- 刁玄 『死罪ですな。ただし孫基様は父上も早くから亡くされており,哀れみを持って接せられますように。』
- 孫亮 『法は万人に平等でなくてはならない。身内だからといって特別扱いしたら,どんなことになるかはお前も分かっているだろう?だから私はお前に孫基を救ってやれる法律的な道はないか?と聞いているんだよ。感情論を言ってどうする?』
- 刁玄『そういう事でしたら,恩赦をしてその範囲を限定すればいいでしょう。恩赦というのは,別に天下全体に及ぶとは限りません。恩赦の範囲を宮廷内に留めれば,孫基様を合法的にお救いできますよ。』
- 孫亮 『それだ!!人々を納得させるというのはそうでなくてはならない。』