【 孫休、皇帝になる 】
- 258年9月,呉主・孫亮が,孫綝のクーデターにより廃位される。クーデターに成功した孫綝は,次期皇帝として孫休に白羽の矢を立てた。というか,孫休しか候補はいない。なんせ孫権の子供たちは孫登・孫慮は死去,孫和と孫覇は内紛で失脚,孫奮は自滅,孫亮は廃位と言うわけで,問題なく皇帝になれるのは孫休しかいない。あとは孫綝が自ら皇帝になるかだが,それはさすがに気が引けたのか,孫綝は,とりあえず宗正の孫楷(そんかい)と中書郎の董朝(とうちょう)を使者に立てて,孫休に帝位に就くように要請した。
- 『ヤッター(⌒▽⌒)ノ これでワシも皇帝じゃーん!!』と,単純に喜べる人物ならそれでいいのだが,孫休はあまり嬉しくない^^;。どっちかというと面倒極まりないし,孫綝の言うことなんか聞いて,政変に巻き込まれてしまうのはどうにもシャクにさわる。しかし,ここで帝位に就かないとたぶん孫綝が皇帝になってしまうだろう。さて困った孫休さん^^;,なるほど道理でしっぽがない龍に乗る夢を見たわけだ。つまり自分が皇帝にならないと後がない・・・・なんてシャレている場合ではない^^;。孫楷と董朝も一生懸命に『皇帝になって下さいー(T▽T)』と訴えているし,孫休さんも腹を決めた。『ヨッシャ!!一丁やったろうやんけ!!』という訳で皇帝になろうと決心する。
- 皇帝となると決心したからには,それなりの準備というのが必要になる。そこで孫休の学問の知識が生きてくる。彼はこういった前例を知っており,皇帝として要請された場合の作法を理解していたのである。ここから孫休が建業に到着して,皇帝となるまでの間の実に仰々しい一連の作業が正史に記述されている。まず孫休は会稽郡の自分の土地で一日と二晩逡巡してから,都へと出発する。そうやって時間をかけてゆっくりと建業へと出向く。要するに格式を付けている訳である。曲阿に到着したのが十月十七日で,孫綝からの皇帝即位の要請が来たのが九月二十七日であるから,実にここまででほぼ二十日かけている。ほんでもって,曲阿まで来た時点でまた奇妙な事が起きる。一人の怪しい老人が孫休に目通りを願い出て,『ぐずぐずしていると政変が起きましょう。天下の者が待ちわびております。どうかお急ぎ下さい。』と上奏する。なんと怪しい事件である。ようするにサクラだろう^^;。こうやって色々と格式を付けながらノロノロと建業を目指す。こりゃ迎えに来いと言うことかと理解した孫綝側でも,孫恩を丞相代理として出迎えに寄こした。
- 十八日にやっと孫休は永昌亭で孫恩たちと合流した。孫恩は便殿(便所の事ではない^^;,仮の皇帝の御所の事。)を設けていたのだが,孫休はなかなか御座(皇帝の座るべき所)には座らない。それを家臣の者が三回皇帝としての礼を取るように上奏して,それを孫休は三回辞退する。ややこしい儀式をやりながら,最終的には『将軍・丞相・諸侯からそろって何度も推薦されたからには断るわけには行かない。』というわけでやっと皇帝となった。さらに孫綝は郊外に出て孫休を出迎え,孫休はそれに対して御車を降りて孫綝を出迎えた。まあ大変ご苦労な事である^^;。要するに孫休は格付けのために長々と時間を使って皇帝となった。学のある所を見せつけたのである。孫休は皇帝となるとまず大赦を行い,年号を永安(えいあん)とした。さて,ここからが孫休さんの知恵の見せ所である。 ▲▼