【 龍に乗る夢 】
  • 孫休,字は子烈(しれつ)。孫権の六番目の息子にあたる。彼ははっきり言って変わっている。まずは,孫権の七人の息子のうちで唯一,皇帝への意欲というのが感じられない人物である。孫権の息子のうち,早世した孫登・孫慮を除く5人を見てみよう。孫和と孫覇は二宮の変を起こした張本人である。孫奮は諸葛恪誅殺事件のおり,自分が政権をにぎってやろうという意志がアリアリだった。孫亮は正式な皇太子である。ところが孫休には,そういった皇帝の座への意欲というのはほとんど見られない。
  • さらに嫁さん選びも変わっている。孫休の奥さんは,朱夫人。朱拠の娘である。一見,何の不思議もないようだが,朱拠の奥さんは孫魯育である。・・・よーく考えてほしい^^;。要するに孫休は自分の姪をお嫁さんにしているのである。現在では同族間の結婚は遺伝子的な問題から良くない事がわかっているが,当時でも倫理的に許される行為ではなかった。しかし,孫休と朱夫人は大変仲が良かったようで,所謂『愛があればそれでいいの』的な結婚だったのではないかと思われるのである^^;。
  • さて,その孫休であるが,十三歳の時に中書郎の謝慈(しゃじ)と郎中の盛沖(せいちゅう)から学問を受ける。どうやらずいぶんと良い先生がついたらしく,その後孫休は学問にのめり込む事になる。おそらく孫休にしてみれば,そのまま学問を勉強できれば幸せだったのだろうが,皇帝の息子であるからそういう訳にはいかない。252年には,皇帝の子として通例のごとく王に封じられ,琅邪王(ろうやおう)として虎林(こりん,長江沿いの揚州と荊州の境にあたる)住まいした。まあ,王として国の防衛の任についたのだから当然である。
  • そのうち,孫権が死去して諸葛恪が政権の中枢に就く。諸葛恪は諸王が長江沿いに土地を構えるのを好まなかった。諸葛恪にしてみれば,そういった重要拠点には優秀な実績のある武官が守りに就くべきであり,自分の遠征のためにも,あまり王がそういった重要拠点にいるのが気にくわなかったのだろう。そういった訳で孫休は丹楊郡に移住する。まあ,孫休にしてみれば,何処に住まされようが,妻と平和に暮らせれば別に構わない^^;。
  • 所が,今度は諸葛恪が誅殺されて,政権の中枢には孫峻が就いた。その孫峻は,孫魯班と連んで妹の孫魯育を殺してしまう。孫休は孫魯育の娘を妻にしていた訳で,身の危険が差し迫ってきたのである。孫休は政変に巻き込まれるのは嫌だったので,泣く泣く妻と別れて朱夫人を建業に差し出す。そうやって逆らう気持ちがない事を示した訳である。孫峻もそういった孫休の姿勢に拍子抜けしたのか,朱夫人を孫休の元に戻らせた。この二人の事であるから,今度は手を取り合って再会を喜んだであろう^^;。まあ,幸せな二人である^^;。
    • (注)この辺りからも、孫峻は、別段、有力豪族や皇室と事を構えたわけではないことが分かる。融和路線を取っていた。だから大将軍・丞相という破格の権力集中しであっても、大きな混乱には至っていない。
  • そういう訳で,孫休夫婦に幸せの日々が訪れたかと思われたのだが,丹楊郡の太守の李衡(りこう)は,諸葛恪寄りの人物で,諸葛恪が誅殺された後は,皇族を目の敵にして,なにかあるとすぐ孫休の過失を追求する。孫休にしてみればたまったものではない^^;そこで孫休は『何処でも良いから,他の郡に移して下さい~。゜(T^T)゜。゜』とお上に泣きついて,今度は会稽郡に移住する。こうして会稽郡で幸せに夫婦二人で過ごす事数年,ある日孫休は,龍に乗って天に昇ったが,ふと後ろを振り返るとその龍には尾がない??という摩訶不思議な夢を見てしまう。まあ,こんな夢を見てしまったのが,孫休の運のつきだった??その後,孫休は意図するしないに関わらず,政変に巻き込まれる事になる。