【 孫休、言いなりになる 】
  • 一族全てが侯となり,しかも呉の丞相兼荊州牧となった孫綝。図に乗った孫綝はますます自分勝手になって,朱雀大門の自分の家の傍にある伍子胥(ごししょ,春秋時代の武将)の廟を焼き払うわ,僧侶たちを斬り殺すわ,全くの好き勝手を始める。しかも官僚たちも触らぬ神に祟りなしとばかりに,孫綝の意見に反対するものなど全然いない。専横ここに極まれりである。
  • 所が,孫休さんったら全く反抗しない。言いなりなのである^^;。そんな調子だから孫綝はさらに驕り高ぶる。ある日,孫綝は孫休の元を訪れるが,その時に献上しようとした牛肉と酒を孫休が受け取らないという事件??が起きる。というか,皇帝は臣下からこうした献上物は受け取らないのが普通だったのであるから,別に孫休が孫綝に対して非礼だった訳ではない。しかし,孫綝は不満やるかたない。んでもってその牛肉と酒を持って,左将軍の張布の元に行って,酔っぱらった挙げ句,『全く,誰のおかげで皇帝になれたと思っていやがるんだ。俺の酒が受け取れねーだと。これじゃ一般官僚と同じ扱いじゃねーか。こうなったら孫休の野郎も廃位してやるかぁ((((* ̄ー ̄))ノ ヒック*』と言い放ったのである。まあ酔っぱらった席での言葉ではあるが,張布はこの事を孫休に告げ口した。当然,孫休は怒り狂って『なんだと!!ふざけるな孫綝!!』・・・となるかと思いきや,なんとなんのお咎めもなし,それどころか孫休さんったら逆にドンドン恩賞を与え,孫綝の弟の孫恩にも侍中の位を与え,孫綝と共同して政務に当たれるようにしてあげちゃったのである。
  • ここまでチヤホヤされると,さすがに孫綝も気味が悪くなってきたようで,孫綝は荊州に出て,独自の権限を得ようと画策するようになる。中央にいる限り,どうしても上に皇帝がいるので,荊州で独立しようという計算があったのかもしれない。孫綝を荊州に出す事には多くの人物が危惧を抱いたようである。『孫綝が荊州に行けば必ず謀反を起こす。』とか,『孫綝が謀反を企てている証拠がある。』といった上奏が相次ぐが,孫休はシレッと孫綝に武器も兵士も与えた上に,荊州への出向を許可してしまう。これでいいのか?孫休さん^^;。いや,孫休さんには孫休さんなりの戦略があったのである。