【 孫休外伝 】
  • 孫休伝には,いくつか面白い話が載っている。その筆頭になるのが『ミイラ発見事件』だろう。
  • 1.ミイラ発見事件
    孫休の時代,長江の守備隊長の一人が広陵にある多くの墳墓をあばいて,墓の中の木材を城の修繕に用いていたらしい(ひでえ^^;)。その暴いた墳墓の中にずいぶんと複雑な様式の墓があり,扉はみんな回転式になっていた。墓室の周りは馬車が通れるくらいの幅の道があって,天井の高さも馬に乗って通れるくらいある。さらに棺の周りには,五尺(約120センチ)ほどの人形が数十体,大きな冠をかぶり朱色の衣服を着て剣を握ってならんで棺の傍に座していた。その人形の後ろの壁には『殿中将軍』とか『侍中・常侍』とか書かれており,おそらくこれは王侯の墳墓だと思われた。
    驚くべきはその後である。その棺を開けてみると,髪はゴマシオ状態になっていたものの,衣服は大変鮮やかで,顔も体もまるで生きているかのように新鮮に保存されていたのである。なぜ死体がそんなに新鮮に^^;保存されていたのか?どうやら鼻の穴とか耳の穴とかほとんどの穴という穴に黄金が詰められていたのが大きいようだ。つまり中の成分が蒸発することなく,新鮮に保存されていたのだ。あとはこの墳墓の複雑な建築様式。これは前漢時代の『黄腸題湊』という様式らしい。この様式は柏の木を厚めに用いており,しっかりと死体を外気から封印することができた。エジプトのピラミッドも死体の保存状態を良くする効果があることは知られている。おそらく中国でもこうして死体を維持する技術というのがあったという事だと思われるのである。
  • 2.霊能力者現る
    ちょっとミステリアスな話がもう一つある。孫休の病気にかかった時,霊を見る事ができるという評判の巫女がいた。そこで孫休はその能力を試そうと思って,彼女を呼び寄せて霊視をさせる事にしたのだが,意地悪孫休さんは人ではなく,ガチョウの死体を埋めて,さも人が埋葬されているように見せかけたのである^^;。かわいそうに嵌められた彼女だが,霊前に座ったまま丸一日たっても何も言わない。孫休がなぜ何も言わないのかと問いただすと,『死者の魂は見えず,白いガチョウが一匹こっちを向いているのが見えます。おそらくこれは物の怪が変化してこのような形を取っていると思われるので,その形が変化して本当の姿を現すのを待っていたのですが,なぜか変化せず,その理由がわからないので,何も言えませんでした。』と言ったのである。はたしてこの霊能力者の能力は確かめられたのだが,面白いのは,その事よりもガチョウにも霊魂が存在するという事が正史に正々堂々と書かれている事だろう^^;。やはりなんやかやと言っても卑弥呼の時代。まだまだ迷信の世界だったのである。
  • ここからは,孫休関連で残っているエピソードの紹介。
  • 3.孫休,皇太子決定を後回しにする。
    孫休が皇帝に即位した時,群臣たちは皇后と皇太子を決めるように上奏したが,『私は皇帝という大きな職務についたばかりであり,やらなくてはならない事が一杯ある。そんな中で皇后や皇太子を立てる事は急務ではない。今はそれより他にやらなくてはならない事があるのだ。』と言って妻と子を皇后・皇太子にするのを後回しにした。
  • 4.孫休,役人の家を憐れむ
    これも皇帝即位直後の話。孫休は役人の家の人々を憐れんで,『役人の家では,五人いれば三人までが様々な名目でかり出され,その結果家事を見る者がいなくなってしまう。そこで五人のうち三人までが政務にかり出された場合,その父兄の希望によって,一人は家に留めて税を免除し,軍役に出なくても良いようにする。』と,詔を下した。
  • 5.孫休,諸葛恪の碑を建てず
    群臣たちの中に諸葛恪のための碑を建てたいという者がいた。それに対して博士の盛沖はそれは建てるべきではないと主張した。孫休は『諸葛恪は夏の盛りに軍を動かし,兵卒を損傷したが,わずかな土地も得られなかった。才能があったとは言えない。幼帝の補佐の任を授かりながら,こわっぱに誅殺された。智があったとも言えない。盛沖のいうことが最もだ。』と言って諸葛恪の碑を建てさせなかった。
  • 6.孫休,朱熊の子に娘を嫁がせる
    朱熊というと,孫亮と孫綝の勢力争いの中で,孫魯育殺害の嫌疑を掛けられて殺された例の人物である。しかし孫魯育を殺害したのは,孫綝と孫魯班であり,朱熊らが無実である事は孫休には分かっていた。そこで孫休は朱熊の子,朱宣(しゅせん)に雲陽侯の爵位を継がせて公主(娘)を妻とさせた。その朱宣は孫皓の時代になって,驃騎将軍にまで昇進する事になる。これは孫休が失脚した朱一族を現役に復帰させたという事である。豪族対策の一つと言えよう。
  • こうしてみると,皇帝になった頃の孫休さんは周りが見えているし,行政手腕はやはり良い物を持っていますね。個人的には,統一政権の四代目か五代目くらいだと良い皇帝になったのではないかと思います。
     -孫休伝 了-