【 孫休さんの奇妙な妄想 】
- 話はちょっと逸れる。三国志関係のホームページを作っている人が必ず一度はぶつかる問題。それが『外字』である。例えば荀彧。荀彧の彧という漢字は日本にはない漢字なので,日本語入力システムでは表記できない。んじゃー中国語の入力システムをダウンロードして,それで表記すればいいじゃないか?ということになるが,実はそうは行かない。私もIME98の中国語入力システムをダウンロードしてあるのだが,それで荀彧を打つと確かに正しい字が表示されているように自分からは見える。しかしそれは自分のパソコンの環境が中国語を表記できるようになっただけなのである。インターネット上に流すと『荀彧』というように表記され,中国語表記システムがダウンロードされているパソコンには表示されるが,日本語入力システムしか入れていないパソコンでは『荀?』のように表記されるはずなのである。よって荀彧を表すにはカタカナ混じりで表すか,荀[或〃]というように別の漢字を組み合わせてそれらしく見せるか,画像として字を入れて表記するか、あるいは中国語表記システムをダウンロードしてくれと頼むか?しかない。
- さて,ではその外字と孫休さんと一体なんの関係があるのかというと,実に大ありなのである^^;。実はほとんどの外字は「Unicode」という表記方法で中国語表記システムをダウンロードすれば,なんとか自分だけはその漢字を表記できる。ところが,孫休さんってば,それすら受け付けない漢字を捏造??してしまったのである^^;。
- では,孫休さんの奇妙な妄想の世界へご案内しよう^^;。
『人が名前を付けるのは,互いの区別を付けるためである。また,成長して字(例:趙雲子龍の子龍の部分。)を付けるのは,実名をそのまま呼ぶのを避けるため(当時,中国では実名をそのまま呼ぶのは失礼な事だった。だから例えば孫策を呼ぶときは,普通は伯符と呼んだ。)である。つまり,名前を付ける時は他人と競合しないようにするべきである。
また,字は古来は一文字だったが,最近では一文字ではなく二字の字を付ける場合が多い。しかしこれは実体が名前に追いついていない場合が多く,(つまり二字も良い字を付けても,その本人の実体が追いついていない場合が多いという意味。)私はそういう風潮を常々笑ってきた。そんな大層な名前を親が付けるのが間違っているのである。そこで私は四人の息子にそういう事を考慮して名と字を定める。
太子の名は とする。音は湾と同じである。字は とする。音は迄と同じである 次男の名は とする。音は觥と同じである。字は とする。音は賢と同じである 三男の名は とする。音は莽と同じである。字は とする。音は挙と同じである 四男の名は とする。音は褒と同じである。字は とする。音は雍と同じである - Σ( ̄∇ ̄|||・・・・・・・・・・・・。唖然とするしかない。裴松之もあきれたらしく,『こんな事をやっているから,妻子が皆殺しになるんだ(`-´)!!』と身も蓋もない事を言っている^^;。孫休さんは書籍を読み続けた挙げ句,理解不可能な領域にまで達してしまったらしい^^;。やっぱ皇帝より学者が似合ってるよ,孫休さん^^;。 ▲▼