【 三国志と演義 】
  • 三国志と言うのは,大まかに分けて二種類あります。一つは三国志演義,もう一つがこのページで扱っている 三国志正史です。
  • (注)正史の使われ方について。正式には三国志正史というのは存在しない。あるのは陳寿の書いた史書としての「三国志」と、羅漢中の書いた小説としての「三国志演義」の二つだけである。にも関わらず「正史、正史」と使い続けるのは本来は正しくないのだが、便宜的に使用する事が多い。かく言う孫ぽこも何も考えず3年間使い続けた(汗)。
  • 簡単に言うなら歴史書としての三国志と小説・芸能としての演義ということになります。三国志は中国の正式な歴史書ですから,その記述はまあ信用していい?と言うことになります(そうとも言えないのが,またややこしいのですが^^;)。三国志演義というのは,羅漢中という作家が,講談ではやっていた三国志の話なんかを,大衆小説として作り上げた物です。ようするに西遊記と玄奘の旅のような関係です。元々は本当の事ですが,面白くするためにフィクションが入ってきます(そのフィクション部分が呉のファンには,くせ者なのです^^;)。が,三国志という場合普通は演義を指します。当然ですね^^;。普通は正史から入る人なんていないと思います。
  • 私もそうです。私の場合まずは漫画の横山三国志から入りました。横山三国志の特徴は
      ○ 三国志演義にほぼ忠実に書かれている。
      ○ 人物の区別は兜でつける(ああっ書いていいのか^^;)
      ○ 呂蒙はレッツゴー三匹のジュンちゃん(若い人には分からない。^^;)
      ○ 関羽と張飛でかすぎ^^;(劉備がまるで保護された子供のようだ)
    って所でしょうか^^;。なんか悪口を書いているようですが^^;横山三国志は大好きなんです。
  • それでなぜか劉備・曹操・孫堅のうちで一番気に入ったのが孫堅・・・・。まあ普通は劉備とか関羽とかになるでしょうけどなぜか私には董卓に荒らされた洛陽に入り号泣する孫堅の素直さが良しと思えたのですね^^;。それでもって孫策登場の巻『小覇王 孫策』で孫策を見て決定的に孫一族のファンとなりました。その頃の気持ちを表すなら「ヾ(^^; オイオイ 君主のくせに一騎打ちやらせたらめっちゃ強いし,戦やらせても連戦連勝だし,太史慈を逃がすなんて度量もでかいし,民のことを考える良い君主だし,劉備みたいに関羽・張飛に頼ってないし曹操みたいにずる賢くないし・・・・めっちゃかっこいいジャン」というものです^^;。なんでこの人物の登場回数が少ないのかマジで疑問に思って横山光輝さんに投書しようかと思ったほどでした。(←お馬鹿)
  • 横山三国志の次に読んだのがいわゆる吉川三国志。一般的に日本で三国志と言えばこれではないでしょうか。これは水滸伝とセットで読みました。吉川三国志の印象は『横山三国志と同じだぁぁ^^;』と言うものでした。むしろ水滸伝の方がインパクトがあったように覚えてます。
    その後は光栄の三国志シリーズにはまりーの,陳さんの三国志シリーズを読みに図書館にいりびたりーの,蒼天航路を読むためだけにモーニングを買いーの,とまあ三国志ファンの歩む道を素直にたどっている状況です^^;
  • 話がそれたように思いますがではなぜここで正史なのか?というと実は呉のファンだったということが大きく関係しています。ちょっと三国志関係の書物を読んでいくと必ず出てくるのが,「実は孔明の矢を敵から集めてくるエピソードは孫権がやったんだよ』とか,『実は赤壁では孔明は戦ってなくて周瑜が曹操に勝ったんだよ」という奴です。だとしたら本当の姿ってどうなってるのだろう?というのが正史に対する興味でした。
  • そう言うわけで正史を読んでみたいとはずっと思っていたのですが,大学の図書館にある正史ってのはやたら分厚く,遊びたいさかりの私にはちょっと気が引けるものだったのです。しかしもはや気持ちには逆らえず,ついに正史の読破に走りました。読んでいくと,今まで漠然と把握していたつもりの正史と演義の違いがまた新しい視点で発見があります。これだから三国志の世界は奥が深い。最後になりますが私は正史至上主義者ではありません。演義の世界も大好きです。むしろこのHPで新しい三国志の世界の面白さを少しでも伝えられたらと思います。