【 諸葛一族と葛一族のミステリー 】
  • 今回の三国雑談は、呉書外伝を書いているうちにたどり着いた奇妙な妄想です。妄想ですので、そのつもりで^^;。
  • 呉書外伝を書いているうちに、【葛】姓の人物が呉に集中して存在している事に気がつきました。まずもって【葛】という姓自体が珍しいのですが、三国時代の人物では
    • 【葛仙公】・・・神仙家。孫権に優遇され、数々の不思議な事件を起している。
    • 【葛奚】・・・孫権の側近。鴻臚(外交府の役人)。孫晧に殺された。
    • 【葛光】・・・孫権の側近。凌統の遺児を教育した。
    • 【葛衡】・・・天文家。機会仕立ての天体儀を作った。
    • 【葛都尉】・・・都尉というのは役職名。公孫淵の使者として派遣された事がある。
    とこの5人だけで、その全てが呉の人物です。これだけ集中するとなると、この5名のうち数人はなんらかの繋がりがある・・・と考えた方が自然に思えます。そこで【葛】姓繋がりで色々調べているうちに、ちょっと面白い事が分かりました。
  • 【葛】姓と言えば、実は三国時代にもっと有名な一族がいます。あの【諸葛】一族です。諸葛一族の名の由来は、諸葛瑾伝に
    • 諸葛一族は元は琅邪県に住む、葛姓の一族であったが、のちに陽都に移住した時に、陽都に元からいた葛一族と区別するために、【諸県から移住してきた葛一族】という意味で、【諸葛】と呼ばれた。
    • 葛嬰という陳渉配下の武将が、死後にその功績を称えられて、その孫を諸県侯に封じられたので、諸と葛の二字を合わせて【諸葛】とした。
    という二説が述べられていて、どちらが正しいかは不明という事になっていました・・・・と、この話題は一時ここで中断します^^;。とりあえず、1の琅邪県出身の葛一族である可能性に注目しておきます。
  • さて、【葛】姓の人物について調べているうちに、東晋の神仙家として有名な【葛洪】と言う人物にたどり着きました。正史にも【神仙伝】・【抱朴子】の著者として名前が見える人物です。彼の一族は元は呉に仕えていましたが、葛洪は呉の滅亡と共に仙人としての修行に打ち込みます。その葛洪の先祖は実は、後漢初期に徐州の琅邪から揚州丹楊郡句容県の丹陽句容に移住した中小豪族であったらしいのです。
  • と・・・ここで、【諸葛】一族と、呉の【葛】一族が繋がってきます。つまり、両一族は元々同じ一族で、なんらかの理由で琅邪を離れ、陽都に住み着いた一族が【諸葛】となり、揚州の丹陽句容に移り住んだ一族が【葛】一族となり、のちに神仙家の葛洪を生み出した・・・という仮説が成り立ちます。
  • さて・・・さらに話しがそれます^^;。呉の葛姓の5名のうち、最も奇妙な人物が【葛仙公】です。彼は、酒を飲んで酔っぱらっては池の中で眠り、水上を歩いてみたり、死者である伍子胥と酒を飲んだりと、その記述はまさに仙人です。しかも、その記述の元になっているのが、先ほど述べた葛洪の書いた【抱朴子】です。つまり、葛姓という実に珍しい姓の中から、仙人が葛仙公と葛洪の二人輩出された事になります。これは、むしろ二人はなんらかのつながりがあると考えた方が自然でしょう。さらに葛洪の仙人の修行の師匠は鄭隠という人物ですが、その鄭隠の師は、葛洪の祖父の兄弟である葛玄です。つまり、葛洪の一族は、代々、神仙家としての家系であった訳です。
    (注)その後の調べで、葛仙公と葛玄は同一人物である事がわかりました。
  • さらに続けます。呉の丹楊に移住した葛一族が神仙家としての家系であったらしい事はなんとなくつかめます。そこでもう少し深読みすると、【呉の葛一族が神仙家の家系であるのは、琅邪にいた頃からそうだったのではないか?】と考察できます。実を言うと、琅邪は神仙術と大きな関わりがあります。始皇帝に不老不死の薬を捜すように命じられ、日本を探しに出た神仙家の徐福もまた琅邪の人物なのです。三国時代で言うと、あの于吉。彼もまた琅邪出身者です。元々が琅邪は神聖な土地であり、宗教色の強い土地なのです。
  • こう考えると・・・・【諸葛】一族と、呉の【葛】一族の繋がりが、実に興味深く感じます。呉の葛一族は、おそらく琅邪に所在していた頃から神仙術と関わりがあったのではないか?もし、そうだとしたら実は【諸葛】一族もまた、神仙術とはなんらかの関わりがあるのではないか?という妄想が頭をもたげてきます。あくまで妄想ですが・・・根拠としては、
    • 琅邪出身の、同じ葛姓であった一族が呉で神仙家の家系として、存在している。
    • 【葛】という姓が、もし植物の葛から来ているならば、葛は古来から薬として利用されており、その薬から来る姓の一族となれば、神仙術との関わりは想像できる。
    • 三国志演義の諸葛亮の怪しさ。(まさに神仙家。)火のない所に煙りは立たない。
    • 諸葛亮が残した、数々の奇妙な発明品(熱気球・饅頭・物資運搬器具など)。その発明の方向性に一定性がなく、神仙術との関わりがないとは言い切れない。熱でもって何かを飛ばしたり、食べ物を調合したりなど、そういう知識背景なくして、こういう発明品は生まれないのではなかろうか?
    こんな所です。もちろん全て妄想というべき類ですが・・・・・。
  • 当然の事ながら、正史内に諸葛一族と神仙術を結びつける記述はありません。諸葛亮はともかく、兄の諸葛瑾に至っては、その手の怪しさは一切記述から感じられません。怪しいのはロバに似ていた事くらいです(おいっΣ( ̄∇ ̄|||)。諸葛一族と神仙術との関係などを真面目に論じようものなら、キチガイ扱いされるのは間違いありません^^;。ですが、想像の翼を広げると、このような不思議な繋がりも見えてくる・・・ということでしょうか? 
    • (注)補足。ここでは諸葛一族と葛一族が琅邪の同じ一族ではなかったか?という仮説の元に話を進めていますが、別の側面から見れば、葛一族が【諸葛】となった経緯の一つに、【元からいた葛一族と区別するため】という事があります。とすれば、その【元からいた葛一族】こそが呉の葛一族である可能性も否定できません。とすれば諸葛一族も葛一族も同時期に徐州から移動。つまりその契機は徐州の大虐殺であろうと想像できます。