【 まっとうな人事 】
- 264年8月,孫皓の皇帝就任に伴い,人事の刷新が行われる。この孫皓の皇帝就任時に,昇進があった者は
代表的な者でこんな所である。これを見ると,意外なほどまっとうな人選行われているのがわかる。軍事の統括者は施績(朱績)と丁奉。それに荊州方面には陸抗と陸凱(ちなみに陸抗の益州牧というのは名目上の官位。益州が晋に平定されたため,仮に任命されたものと思われる。)。この時代で最も優秀な者が軍事の統括者となっており,武官の任命については申し分ない。宮中においては,丞相に濮陽興を維持,それに張布・丁固・滕牧といった面々が昇進している。また散騎中常侍を任命するのは孫休政権で好評だった人事であり,孫休政権のやり方を踏襲したものと思われる。薛螢・賀邵・韋曜らは,みな才能を広く認められていた人物だ。施績(朱積) 大司馬 丁奉 大司馬 陸抗 鎮軍大将軍・益州牧 陸凱 鎮西大将軍・荊州牧 張布 驃騎将軍・侍中 滕牧(とうぼく) 衛将軍・録尚書事 丁固(ていこ) 司徒 万彧 散騎中常侍 王蕃(おうはん) 散騎中常侍 桜玄(ろうげん) 散騎中常侍 郭逴 散騎中常侍 薛螢(せっけい) 左執法 賀邵(がしょう) 左典軍 韋曜(いよう) 中書僕射 屈幹(くつかん)
屈恭(くつきょう)立義都尉 - こう見ていくと,別に孫皓も初めから無茶苦茶をやっていた訳ではないのである。もちろん,孫皓も帝位についたからと言って,初めから群臣の意向を無視したやり方は出来なかった・・・とも言える。しかし,それでも孫皓らしい一面も見える。それは一言でいうと,身内と身内に対して忠義のあったものを昇進させているという事。滕牧は,孫皓の正室が滕牧の娘である事からの昇進。それと屈幹・屈恭は,父の屈晃(くっこう)が二宮の変の時に孫和を援護して流罪になったという事があり,それに対する功績からの現役復帰であった。それでも初めから彼らを重要な位置に就けたという訳でもなく,許容範囲と言える。
- しかし,孫皓が呉の人々の期待に反しない行動を取ったのは,残念ながらここまでだった。今後,この昇進リストにあがっている人物たちはほとんどが駆逐されてしまうのである。また,ここで武官として昇進した者と,中央官僚として昇進した者の今後の末路の違いにも注目してほしい。面白い結果となっているのである。その事については,また後で^^;。 ▲▼
