【 大赦と王と改元と 】
  • 末期の孫晧の施策で、特徴的なのが大赦と王の封国と改元の乱発である。以前からなにかと大赦を多く行ってきた孫晧であるが、270年代に入るとまさに大赦の大盤振る舞いである。
    • 270年    理由不明
    • 272年    歩闡の反乱鎮圧に伴う大赦
    • 273年    九王の封国に伴う大赦
    • 275年    呉郡の土中から変わった銀が出た事による大赦
    • 276年    天璽と改元した事に伴う大赦
    • 277年    天紀と改元した事に伴う大赦
    • 278年    十一王の封国に伴う大赦
    • 280年    新たな十一王の封国に伴う大赦
    わずか10年の間に8回の大赦。これは明らかに多すぎである。
  • 二つ目の特徴は王の乱立である。
    • 273年   すでに王に封じていた二王(東平王と章陵王)の移封と新たに九王を封じた。
    • 278年   成紀王・宣威王など十一の王を封じられた。
    • 280年   中山王・代王など十一の王を封じた
    単純にこれらを合計すると全部で33人の王がいたことになる・・・・が、晋書には、呉降伏の場面で『太子瑾とその弟魯王虔ら21人・・』とあるのと、280年の大赦はすでに晋の来襲後の話である事から、実際には280年の封国は行われていない可能性が高い。にしても全部で21人(もしくは22人)の王がいたことになり、孫権が王に封じたのは自分の息子4人だけだったのと比べても異常なほどに多い。孫家の系譜を見る限り、孫晧の息子は、太子・孫瑾を含め全員で9人である。それ以外の王はどう考えても孫晧の孫を王に封じたか(どう考えてもこの時点では赤子だが?)、孫晧の兄弟(孫徳・孫謙・孫俊)らの息子を王にしたか(これはちょっとあり得ないように思えるが?)しか考えられない。いずれにしても、必要以上の乱発は間違えない。
  • さらに改元の乱発である。三国時代の改元の例を見てみると
    • 魏  曹丕(在位6年・改元1回)
         曹叡(在位14年・3回)
         三帝時代(合計26年・6回)
    • 呉  孫権(在位30年・5回)
         孫亮(在位6年・4回)
         孫休(在位8年・1回)
         孫晧(在位17年・8回)
    • 蜀  劉備(在位2年・1回)
         劉禅(在位31年・4回)
    • 晋  司馬炎(在位16年・4回)
    こうしてみると、魏の三帝時代・呉の孫亮時代・そして孫晧の時代と、その王朝が弱体化した時代には改元が多いのが分る。(意外に劉禅が少ない。)
  • これらの大赦・王の封国・改元の乱発は、何が原因なのだろうか?簡単に言うと、おそらく【手軽な人気取り&気晴らし】なのではないかという気がする。根本的な所では、もはや呉の劣勢は覆しようもない状況の中、現実逃避とその場凌ぎの人気取りに明け暮れた挙げ句、晋の来襲に対してまともな国防力を持たない国にまで落ちてしまっていたのであろう。