【 悲しきトラウマ 】
  • 孫晧,字は元宗(げんそう,また別に皓宗という字もある。なぜ二つも字があるのかは不明。もしかしたらもとは皓宗だったのだが,字の重なりを嫌って元宗と改名したのかもしれない。),幼名は彭祖(ほうそ)。孫権の三男,孫和の長男に当たる。母親は可姫と言う。
  • 彼の生い立ちは一族による孫和親子迫害の歴史である。孫皓の父,孫和は皇太子の身でありながら,二宮の変により皇太子の座を追われ,長沙に強制移住させられた挙げ句,孫魯班と孫峻により,正室の張夫人共々自殺させられた。孫皓の母である可姫は,『もし私も死んでしまったら,誰がこの父なし子たちを養うのでしょうか。』と言い,生き残って女手一つで孫皓ら兄弟を育てたのである。
  • この孫皓の幼年期の生い立ちは,彼を考える上で重要なファクターになっている。おそらく彼は彼の父・母を迫害した人間たちを呪詛しながら成長した。逆に肉親への愛情は過度に厚くなっていった。さらに他人への不信といった感情すら持っていたのではないかと思われる。彼は人と会っても直接自分を見られるのを嫌がった。直視されるのを極端に嫌ったのである。基本的に対人能力に不備があるとしか思えない。そしておそらくは,本来なら自分が皇帝だった(孫和が廃されなかったら,孫皓には,正当な皇位継承権がある。)という自己顕示欲は増大していった。
    • 両親を迫害した人間への復讐
    • 肉親への過剰な愛
    • 肉親以外の人間への不信感
    • 権力への顕示欲
    この四つのファクターは,孫皓を語る上で外すことの出来ない重要なファクターなのである。そして想像の域は出ないが,孫皓の中で1の両親を迫害した人間のリストの中に孫権の名も入っていたのではないかという気すらするのである。だから彼は事あるごとに『大皇帝(孫権)様の時は・・・・』と言って諌言を繰り返す重臣たちの言葉を一切聞き入れなかった。そんな気がするのである。
  • そんな彼も,孫休が皇帝となると,少し運が向いてきた。孫休は孫亮などライバルになりそうな人物を追い落とす事はやったが,孫皓らには同情の気持ちがあったのか,孫皓兄弟をそれぞれ侯爵とした。そこで孫皓も鳥程候としてレッキとした爵位をもらう事になった。その頃,西湖の平民の景養(けいよう)なる者が,孫皓の人相を占って,『必ず,とても高貴な身分になるであろう。』と言った。ありがちな皇帝へのハクの付け方という気がするが,孫皓は密かにこの占いを大変喜んだという。 
    • (注)孫休伝でも書いたが、「同情心」から孫晧を鳥程候にしたのではなく、孫和の名誉の回復と、事件に関連した豪族の名誉回復のために孫晧を鳥程候にしている。