【 第一次孫堅軍閥 】
  • 許昌の乱の鎮圧後,孫堅は3つの県の次官を歴任し,最終的には下邳県の次官を務めることになる。この県の次官を務めていた時期に孫堅の元に郷土の知り合いやひと旗上げようと目論む若者などが出入りするようになる。この時期に第一次孫堅軍閥というべき配下たちが孫堅の元に集まってきたのだろう。初期の孫堅軍閥の中核と言うと黄蓋・程普・韓当・祖茂の4人が思い浮かぶ。彼等はいつ頃孫堅の元に集まったのだろうか?
  • 程普は幽州北平郡の生まれ。州や郡の役人をやっていたとあるからおそらくこの時期に孫堅と出会ったのだろう。程普伝にもこの後に起きる黄巾討伐に孫堅の配下として参加したとある。
  • 黄蓋は荊州零陵郡の人である。孫堅が義兵を起こした時に配下に加わったとあり南方では山越討伐・北方では董卓を敗走させるのに功績があったとあるのでおそらく孫堅旗下に加わるのは孫堅が荊州・長沙の太守に任じられてから後になる。
  • 韓当は程普と同じく幽州遼西郡の令支の人。あの公孫瓉と同郷である。孫堅の征伐に同行してたびだひ功績を上げたとあるがいつ頃旗下に参じたのかは明記されていない。
  • 祖茂に関しては董卓戦での記述があるだけでこの後の記述はない。(実は死んだかどうかの記述すらない。祖茂は程普・黄蓋らと同列にするのは間違えなのかもしれない。)
  • また朱治は揚州・丹陽郡の生まれで従事(州の太守の属官)になりその後孫堅に従ったとある。と言う事は孫堅が長沙太守になってから後の配下と見て良い。
  • こう見ていくと孫堅軍閥は
    • 孫堅が下邳県の次官をやっていた頃からの配下・・・・・・程普・(韓当)・(祖茂)
    • 長沙太守になってからの配下・・・・・・・・・・・・・・黄蓋・朱治など
    と言えるだろう。孫堅軍閥の中での最古参は程普と言う事になる。 
    • (注)程普・韓当らが、孫堅が下邳県の次官をやっていた頃に同じ役所に勤めていたとして、そのまま孫堅の黄巾討伐に参加する謂れはない。つまり、孫堅と程普・韓当らの関係は相当に私的な物であると思われる。つまり、この時期の彼らの関係は任侠的性格を帯びており、この辺の事情は劉備・関羽・張飛の関係と似ている。