【 嘘八百 】
- 回の整理から。魯粛の荊州出向の目的は・・・・
- 江陵こそ覇業論のポイント地点であり、絶対、曹操に渡してはならない。
- にも関わらず、孫呉はその前段階の江夏すら領有できていない。
- よって、荊州・劉表勢力を一つに纏めて上げ、曹操に対抗させる。その(江陵を守る駒としての)劉表勢力と同盟を結んでおく必要がある。江陵を取るのはその後で良い。とりあえず曹操に渡らなければ良い。
- 劉表が死に、その息子たちが二派に分かれて争っている今、劉表勢力を纏める事ができるのは劉備しかいない。
- もし劉表勢力が纏まらないのであれば、臨機応変に対応するしかない。とにかく江陵。ここを曹操の手に渡してはならない。
- だが、魯粛の蠢動を笑い飛ばすかのように、事態は最悪の方向に進み出す。九月、魯粛が夏口に到着した時点で、曹操はすでに新野に布陣したと情報が入る。やばい。やぱすぎる。曹操の動きが速すぎるのだ。魯粛は強行して襄陽を目指すが、魯粛が南郡に到着して時点で、劉琮が曹操に降伏したとの情報が入った。・・・・万事休す。魯粛の覇業論はガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
- 普通の人間ならこの時点で、自らの策が瓦解した事を知る。曹操に対抗させる駒であるはずの荊州・劉表勢力。その主力はすでに降伏した。もはや孫権の元に戻り、事実を報告するしかない。だが、このあきらめの悪い男は蠢動を止めなかった。劉備が襄陽を脱出し、長江の南に降ろうとしている・・との情報が入ると、まっすぐに劉備の元に向かったのである。
- もう一度、魯粛の荊州出向の目的を思い出してほしい。魯粛は荊州・劉表勢力の兵力をアテにして、その勢力を一つに纏め上げ、曹操と対抗させる事を第一目的にしていた。だが、もし劉表勢力が纏まらず、ガタガタになるようであれば、その状況に応じて新たな計略を考える必要がある・・としている。つまり、事態はすでに次善策の段階に入っていた。その場合どのように対応するか?は、魯粛ははっきりと孫権に告げていない。そんな所まで、事態が急転するとは魯粛は想定していなかったのだ。そして、この事態の急変を受けて、魯粛がはじき出した新たな計略とは、劉備と同盟する事だったのである。
- だが、この選択は、一別して理解できるような代物ではない。すでに劉表勢力の主力は降伏したのだ。劉備は曹操から逃げてきたのである。その劉備一党と同盟を結んで、どんな魔法をかけたら江陵を死守できるというのだろうか?
- 話を少し変える。この時点までの劉備と諸葛亮の行動を追う。実は諸葛亮と魯粛の考えは、孫呉の立場で考えるか、劉備の立場で考えるかの違いはあるが、実に類似点が多い。諸葛亮は襄陽を通過する時、「このまま襄陽を攻めれば、荊州を支配できる。」と進言している。もし劉備が諸葛亮に従っていれば、魯粛の【劉備に荊州勢力を纏めさせる。】という計略も成功した可能性が高い。だが、劉備は襄陽を素通りする。ここから分かる事は、少なくともこの時点では、劉備は襄陽を落とすことが可能な程度の兵力は持っていた。つまり、勢力として軽視できない物があった。
- 次に、襄陽を通過した劉備一党には、荊州の人々が多く付き従った・・・と劉備伝にある。つまり、荊州を纏める事ができるのは劉備。この認識は魯粛・諸葛亮だけでなく多くの荊州人の認識だったのだ。だが、これらの人々は兵ではなく、徒歩で荷物を抱えて付き従うのだから、その行軍?は極端にスピードが遅かった。そこで当陽についた時に、関羽に数百艘の船で人々を分乗させている。つまり、関羽隊は水軍と呼べる物ではなく、劉備に付き従う人々の分隊だった。この兵・民混在の編成は、とても戦争可能な状態ではなく、「(軍と民を切り離して)先に江陵を押さえるべきだ。」という進言が劉備陣営で為されている。それも劉備は人は大事の基本として却下している。だが、劉備は江陵を押さえるつもりだったというのは事実ではないか?と思われる。魯粛の言葉にもあるように、江陵は堅固な地で重要なポイントなのである。江表伝にある【交州の呉巨を頼るつもり】というのは信憑性が低い。これだけの大所帯で交州まで移動する気だったはずがないからである。江陵をさらに南下して長沙あたりに落ち着く気だった可能性もない事はないが、それにしても江陵を素通りする必要はなく、軍事的にも押さえておくべき拠点である。つまり、この兵・民混在の編成は別にして、この段階では、劉備が江陵を押さえる可能性が残っていたのだ。よって魯粛としては、是が非でも残存する反・曹操勢力に江陵を死守させる必要があった。もし劉備が最終地点を長江以南に定めているのなら、それを是正させる必要があったのだ。劉備の事を考えてではない、自らの覇業論のためだ。もちろん劉備だけで対抗できる状態ではなくなっていたから、劉備と同盟し、孫呉も江陵に入って共に曹操に当たる必要がある。劉備と結んでおけば、江夏の劉琦の領土も素通り出来る。つまり、孫・劉同盟によって江陵を死守できる。これが魯粛の出した次善策である。その状態で魯粛は当陽で劉備と会見した。
- 是が非でも、この次善策は成功させたい魯粛は最終手段に打って出る。劉備に対して、嘘八百並べ立てたのである。魯粛曰く・・・・
- 【江東の地は堅固で曹操も手出しはできません。】
上流を押さえられたら地勢的に不利は明白。家臣団の意見は纏まっていない。国家意志決定に迂遠なほどに時間がかかる。山越が横行し、江東すら完全には平定していない。実兵力はよそ様に恥ずかしくて言えない。大した堅固な地である。江東が堅固なのは、上流を全て平定すれば・・・の事だ。
- 【孫権殿は劉備殿と同盟したいとの意志をお持ちです。】
そんな事は一言も言っていない。下手すれば使者もろとも曹操への手みやげに早変わりする可能性すらある。
- 【私は諸葛瑾殿の友人です。】
この状況ではこれすらも嘘に見える。劉備伝の注の江表伝の記述では、魯粛はさらに嘘八百並べ立てているのだが、本人の名誉のため割愛する(泣)。せめてもの情けである。
- 【江東の地は堅固で曹操も手出しはできません。】
- だが、嘘八百で政を動かそうとした天罰が降る。わずかに残った反・曹操勢力である劉備一党は、その長坂で曹操の追撃部隊に追いつかれ、劉備は妻子を捨ててわずか数十騎で逃亡。スピード重視で最強の騎馬隊を強行させた曹操の戦略眼こそ、正解だった。当然、魯粛も命からがら劉備と共に逃げた。やる事為す事全て裏目に出る。結局、魯粛が確保できた反・曹操勢力は・・・・関羽の水軍(大多数がただの民、しかも文聘に叩かれた後っぽい。)と劉琦の手勢。それだけだった。江陵を死守する計略は全て水泡に帰し、援軍とはお世辞にも言い難い敗残軍を手みやげに、魯粛は諸葛亮と共に柴桑に戻る。だが、神経ないのでは?とまで思える、この図太い男は、この状況でも蠢動を止めなかったのである。 ▲▼
- (注)赤壁の際、諸葛亮は、関羽水軍一万、劉琦軍一万と述べているが、これも誇張と嘘八百である(汗)。関羽隊は、劉備伝に書かれているように大多数がただの民。劉琦の江夏の兵も一万はいない。総勢、五千あれば良い方である。魯粛と諸葛亮。この二人こんな所まで瓜二つだ。