【 可能性の死 】
- 飛躍を続ける孫策軍であったが、孫策・周瑜のゴールデンコンビが完全な形で機能したのは、廬江・豫章攻略戦のみであった。200年、孫策は不慮の死を遂げる。
- よく、孫策及び周瑜の死を指して、可能性の死と言われる事があるが、まさに孫策の死は可能性の死であった。孫堅の死を含めて孫呉には大きな可能性の死が三つある。
- はなはだ、不確実な方法ではあるが、それら三つの死の可能性について考察したい。趣味の範疇なので、あくまでゲーム的感覚で。
- 孫堅の死の場合、孫呉の進む道は大きく異なったであろう。孫呉は荊州に割拠したはずだ。荊州に割拠した後、孫堅は孫策同様に袁術からの分離独立を迫られる。孫策より多少、直線的な所のある孫堅の場合、袁術との分離独立は孫策ほど巧妙にはできないかもしれない。だが、少なくとも荊州・揚州において孫呉が優位を確立する時間的余裕は、十二分に与えられており、中華は北に袁紹・中央に曹操・南に孫堅という、違った形での鼎立が起きたかもしれない。それに巴・蜀、涼州を束ねる勢力が出現した場合(史実での劉備の位置)、それぞれの勢力が割拠したまま、戦国時代の様相を呈しかねない。
- 孫策の場合は、許都攻略という可能性の死である。これまた推測に推測を重ねるしかないが、もし孫策が本気で許都攻略を考えたとして・・・そのまま曹操の領土を併呑してしまえ・・という意味合いではあるまい。そんな事は不可能である。それほど当時の孫呉はしっかりとした基盤を持っていた訳ではなく、中原に躍り出る事ができる力はない。その辺りが郭嘉を持ってして、孫策の許都襲撃はあり得ないとした所以である。むしろ、許都を電撃急襲し帝を江東に保護すると言った戦いになるのではあるまいか?確かに発想が奇抜だが、もし孫策が本気だったとしたら、それしか考えつかない。拠点を築きながら長期的に戦線を維持する戦いは孫策向きではない上に、それを可能ならしめる兵力もない。徐州の陳登を攻める気だったのでは?という説もあるが、官渡という一大転機に際して孫策が小さく徐州にこだわるとも思えない。また徐州を取る気なら、それこそ長期的に徐州を維持する戦いとなり、官渡に決着がつけばいずれ奪われる可能性が大である。
- 許都・電撃急襲作戦だったとして、その際は、孫策はほとんど全軍を出撃させるだろう。留守を預かるのは呉景・孫賁・孫輔に会稽に賀斉。その程度のはずだ。また、行軍の主力は周瑜・程普・呂範のトップ3。すでに徐州・海西まで進軍した経験のある呂範を別働隊として徐州に向かわせ、主力は寿春を攻略、程普を寿春の守りに残して(あるいは周瑜か?)孫策自身は、強行して許都を急襲するのではないかと思う。ただし、事はそう簡単に進むとは思えず、まずは徐州に向かった呂範は苦戦すると予想する。相手が悪い。下手をすれば徐州で陳登に敗退、寿春が危なくなり、許都急襲が頓挫する可能性もある。ただし陳登という人物、守備では異常なまでに強いが、攻勢に出たときはどうだろう?
- 事態の好転に一足買いそうなのが、当時汝南で反乱を起こした劉辟だろう。孫策はおそらく劉辟とは共同歩調を取れる。うまくすれば劉備とも。汝南で足止めを食わなければ、許都までの進軍はそう難しくない。ただし、献帝を保護できるか?と言うとはなはだ、不安定要素が多い。下手をすれば郭嘉・荀彧辺りの計略に嵌って、孫堅の二の舞という事もあり得る。いかに許都急襲を電撃的な物にできるか?という点に全てが掛かっている。攻撃を予見されるようでは、裏をかかれる可能性が高い。こう考えると、周瑜が寿春に留まる作戦はダメだ。周瑜の才幹無くして、許都急襲は成功し得ない。その場合、程普が寿春に留まる事になるが、そうなると怖いのが陳登である。
- また、作戦は短期間に終わらせる必要がある。郭嘉が予見したように、もし孫策が長期に渡って、中原に遠征した場合、お膝元の江東が騒がしくなるからだ。しかも、留守を預かる孫賁・孫輔らは反旗を翻さないとも限らず、山越の反乱は当然の事、弾圧された揚州豪族が反攻に転じるのは間違えない。特に陸議(陸遜)は要注意となる。郭嘉辺りが、そうしたお膝元の江東に乱を起こさせ、孫策を引き帰らせるという策略を用いるだろう事は想像に難くない。こうした点を考えると、孫策一人の才幹だけでは許都急襲の成功率は高いとは思えず、どうしても周瑜の才幹が必要となる。
- 周瑜の可能性に関しては、この伝の最後に述べる事になると思う。いずれにしても、孫策の死は大いなる可能性の死であった。 ▲▼