【 新しい人材 】
  • 孫策は寿春で江東制圧の準備を着々を進めていく。孫策がまず着手したのは軍を率いる武将と軍を機能させるための軍師・参謀を得ることである。
  • その頃,徐州では曹操が父,曹嵩を陶謙に殺されたことから怒りが爆発。徐州に凄まじい勢いで攻めこみ,徐州は未曾有の混乱状態にあった。そのため徐州の多くの士人・民衆が南の揚州に避難していたのである。その中に孫策が江都で親しくなった張紘や陶謙の推挙を断って禁固されていた張昭という当時名の知れた士人がいたのである。
  • 張紘は広陵の人物で,何進・朱儁・荀爽という当時一流の人物からの推挙をことごとく断っていた。しかしなぜか若干20歳にすぎない孫策が大変気に入り,孫策が江都にいた頃から交友があった。徐州の混乱から逃れ,江東に来た際に正式に孫策軍に入っている。張紘の役割は孫策の相談役・後方支援役・それに博識と文才を生かした外交官役と言った所。孫策には父孫堅譲りの短所がある。自分が先陣を切らないと気が済まないのである^^;。まあファンにしてみればそれがかっこいいのだが,君主としては欠点。張紘は孫策に『指揮官は全軍の生命線なんだから,軽はずみに前線に出て,お父さんみたいになっちゃったらどうするの?貴方に期待している人のためにも自重しなきゃダメよ。』と進言している。そうだ張紘^^;。良いことを言う^^;。まあ先陣に立つ孫策もかっこいいんだが^^;。
  • 張昭は彭城の出身。若い頃から名声を得て,陶謙に自軍に入ってくれと言われていたが,陶謙に従わなかった。そのため野人陶謙に囚われていたが,友人の救出によりなんとか逃げ延びる。直後に曹操が徐州に攻め入ったので,揚州に逃れた所で孫策に会い旗下に入っている。張昭の役割は相談役・後方支援役と言った所。(張昭は文才では張紘に一歩譲ったらしい)孫策は行軍の際には必ず,張紘と張昭のうち一人を連れて行き,一人は後方で物資支援をさせた。二人は孫策軍を裏で支えた名参謀だったのである。孫策と張昭のなんとなく微笑ましいエピソードが張昭伝に載っている。張昭が孫策に従軍してからというもの,張昭あてに届く手紙は『張昭さん。貴方ははすごいね。若い孫策を支えて功績を挙げさせたのはアンタだよ。』とか『張昭さん。あなたの才能はもっとすごいよ。将来はもっと偉くなるだろうね』と言った,張昭を褒め上げる手紙がたくさん届いていた。張昭はこれらの手紙を孫策に隠しているとなんだか他国の人物と密通しているみたいだし,かと言って見せびらかすのは自慢しているみたいだし,これらの処分に困っていたのである。それを小耳に挟んだ孫策は大笑いして『なんでそんな小さい事で悩んでるんだ。俺がそんなこと気にするわけないだろ。』と一笑して終わりになったというのである^^;。張昭って孫権とも子供なみのケンカをやってのけるし,なんだかとっても人間くさい人なんですね^^;
  • 孫策は張昭・張紘だけでなく,軍を率いる新しい武将の発掘も行っている。蒋欽・周泰・陳武・凌操と言った武勇に優れた人物たちを配下に加えているのである。
  • 蒋欽は寿春,周泰は九江の出身。二人は孫策軍の中から孫策に見出されて側使えをやっていた。孫策は江東制圧の軍を起こすにあたって彼らを別働隊隊長をやらせる。
  • 陳武は廬江出身。寿春で孫策に拝謁して配下となっている。陳武は身長185センチの大男で(今は身長の高い人も多いけど当時で185センチというと,今だと2メートル級じゃないかな?),陳武も別働隊隊長に任じられる。
  • 凌操は呉郡出身。肝っ玉が太く,常に先陣を切ったとある。彼もおそらく孫策に見出された人材である。
    孫策は見こみのある人材を軍の中から選び出していたのである。彼らはまさにたたき上げの軍人と言って良い。この辺り,孫策が家柄にこだわらず才能のある者を活用したことが分かる。
  • それら新しい人材に加え,古参の猛者,程普・黄蓋・韓当に軍の指揮・後方支援となんでもござれの朱治・呂範。それに一族の中で唯一孫策に従った孫河。
  • 寡兵とは言え,孫策軍の陣容はまさに少数精鋭であった。