【 太史慈の約束 】
  • 太史慈との一騎討ちという,予想外の出来事はあったものの,孫策軍の優勢は動かしようがなかった。孫策軍は曲阿に迫る。劉繇は曲阿は持ちこたえられないと判断して,丹徒(たんと)に逃亡。そこからさらに逃亡の計画を練る。始め劉繇は会稽郡に逃げる気だったが,許子将の進言により曹操や劉表と連絡が取りやすい豫章郡に逃亡する。しかし一度落ちた運はもう再び昇ることはなく,劉繇は部下の笮融に謀反を起こされる。なんとか二度目の討伐で笮融を破ったものの,劉繇はその後,病死してしまうのだった。こうして孫策は曲阿に入城して劉繇との戦いに終止符を打つ。
  • 孫策は曲阿に入るとこれまでの戦いの恩賞を与えると共に,部下の陳宝を送り家族を阜陵から呼び寄せ曲阿に移住させる。これは丹陽での戦いが一段落ついて,曲阿に家族を移らせても危険は少なくなったことに加え,その後に起きるであろう袁術との決別を考慮に入れると,家族をいつまでも袁術支配下の長江北岸に住まわせるのはやばかったという事もあると思う。また孫策は『劉繇の部下でも降服してきた者には罪は問わない。もし自軍に入りたいという者がいたら,その家族の税金を免除する。』と布告を出す。これはおそらく張紘・張昭らの考えが入っているだろうが,今後の事を考えると,孫策軍はこの機会に一気にその軍勢を増やす必要があったのである。また占領した丹陽郡の治安維持にも尽力する。孫策軍はその勢いの凄さから,民衆からも恐れられていた。劉繇は民衆にとっては決して悪い主人ではなかったのであるから,それを破って入ってきた孫策軍の方が恐れられ,不安でもって迎えられるのは仕方のないことであった。これに対して,孫策は軍に徹底的に略奪を禁止する。そのため孫策軍は城に入っても,家畜や作物には一切手を触れなかったのである。これは孫策が江東に基盤を置こうとする限り,絶対に守らせる必要があったことである。
  • つまりこの時点での孫策の政策は
    • 占領した丹陽郡の治安維持
    • 四散した元劉繇軍の吸収
    の2点だったと言える。1は張紘・張昭らが尽力すれば可能だったが,残る問題として2の元劉繇軍の吸収が残っていたのである。
  • ここで太史慈の動きを追ってみる。太史慈は劉繇と共に豫章に逃げるかと思ったらなんと,途中で劉繇と行動を別にして行方をくらます。太史慈はまだ孫策に勝てる可能性が残っていると判断したのである。
    太史慈はどういう根拠で勝算をはじき出したのだろうか?推論すると
    • 劉繇が死亡したため,元劉繇軍が宙に浮いた状態で残っており,それらを糾合することで孫策軍にも対抗しうるだろう。
    • 丹陽郡全てが孫策に占領された訳ではなく,西部の6県はまだ孫策の影響下になかった。まだ丹陽にも孫策に対抗できる基盤はあった。
    • 江東は情勢が安定しておらず,山越や厳白虎や祖郎と言った反乱分子と結んでゲリラ的に活動すれば逆転の芽もありうる。
    こんな所だろう。特に1の劉繇軍の残兵の去就と反乱勢力の動向は流動的だった。太史慈の勝機は確かに残っていたのである。太史慈の性格からして『このままおめおめと負けてたまるか!!』という気持ちもあっただろうが,勝算のない無茶な抵抗ではなかったと考えていいと思う。
  • その太史慈の動きに対して,孫策は素早く行動を起こす必要があった。太史慈が劉繇軍を糾合してしまい,反乱分子と結んで活動を始めればやっかいこの上ないのである。孫策は劉繇軍残兵が太史慈に付く前に叩く必要があった。この時点では太史慈はまだ丹陽の反乱分子の山越賊の一部を糾合したに過ぎなかったのである。孫策は部下に任せず,自ら太史慈の討伐を行い,結局太史慈は敗れ捕虜となるのである。
  • さて,捕虜となった太史慈と孫策の会話が記述されている。ここも名場面ですので例によって多少脚色しながら載せます^^;
    • 孫策  『もし一騎討ちの時に,俺が負けていたら貴方はどうしたかな?』
    • 太史慈 『想像もつきませんな。』
    • 孫策  『俺はあの時,貴方がしたであろう処遇を貴方にさせてもらうよ。』
    と言って太史慈の縄を解き,その場で自軍の将として役目を付け,丹陽に戻ると兵士を預けて中郎将の位を授けたのである。劉繇に重宝されなかった太史慈がこれでなびかない方がおかしい^^;。さすがは人たらしの孫策である^^;。
  • さて,裴松之の注に演義でも有名な,太史慈が元劉繇軍の兵士たちを集めてくるから逃がしてほしいと願い出て,孫策がそれを承諾。皆が太史慈は帰ってこないと危惧する中で,孫策だけが太史慈を信じ,また太史慈もその約束を守って四散した兵士たちを連れて帰って来るエピソードが載っている。孫策と太史慈の人間としてのでかさを物語る逸話であるが,どうやらこれは出来すぎの部類の話らしい。いくら孫策でも,捕らえたばかりの初対面の人間を全面的に信用したというのはおかしいし,太史慈も捕まってすぐ逃がしてくれと言うはずがない^^;。もしやったとしたら太史慈はかなり非常識である^^;。
  • 実際に太史慈は豫章の元劉繇軍の兵士たちを糾合してくる役目を孫策から言い渡されるのであるが,それはこの後の会稽・呉郡の討伐の後である。いくら孫策でも,ある程度付き合わないと太史慈の人間性までわかるはずがない。しかし太史慈を豫章に行かせた時も,一部では『太史慈は豫章太守の華歆と同郷だから,華歆の元に留まってしまうのではないか?』とか,『太史慈は徐州の生まれだから,そのまま北に逃げてしまうだろう。』と言った意見が飛び交っていたらしい。太史慈は孫策軍に加わってからまだ日が浅く,十分に信用されてなかったのである。しかし孫策は『太史慈は勇気と大胆さを兼ね備えているが,策謀をめぐらす人物じゃない。心配はいらねーよ。』と言って太史慈を行かせたのである。太史慈は約束通り,元劉繇軍の兵士を糾合して戻ってくる。孫策と太史慈の約束は確かにあったのである。