【 孫権外伝2 -孫権と仏教- 】
- 三国志本文には出てこないのだが,ちくま書房の『正史 三国志8巻』の巻末の年表に,247年,仏僧の康僧会(こうそうかい)が建業にやって来て,孫権は健初寺を建てた,とある。陳氏の『秘本 三国志』にもあるように,仏教はこの頃,中国に入ってきている。そこで孫権と仏教について調べてみると,孫権と仏教は意外にも接点が深い事が分かる。
- 三国時代には数名の仏僧がペルシャ(安息国)やクシャーン(月支国)から中国に入ってきていたが,その一人に支謙(しけん)がいる。彼は後漢時代に洛陽で帰化して,仏典の翻訳に取り組んでいたが,戦乱を逃れ江東に来ていた。孫権は彼を博士に任命して,仏典の翻訳をさせていたのである。
- さらに康僧会であるが,彼は交州でインド商人の子として生まれ,247年,仏教の布教活動のために建業にやってきた。当時の中国の人間には,その姿はかなり異様だったらしく,孫権は彼を詰問するが,康僧会は,五色に輝く仏舎利を出現させるという奇跡を起こし,孫権は彼のために健初寺という寺を建てさせたのである。
- 呉の歴史と仏教を含む宗教勢力との関係は興味深い。孫策は明らかに,仏教を含む新興宗教勢力を弾圧している。笮融などの例を見ても,江東では儒教ではない宗教があった。おそらく仏教もそのうちの一つである。逆に,孫権は外伝1でも書いたように,自称神様を招いてみたり,仏教に興味を示したりしている。こう考えると,儒の思想に従った孫策,儒教以外の他の宗教を取り入れようとした孫権と言うことが言えるかもしれない。まぁ,想像の域は出ない。健初寺を建てたのも,ただの興味本位という気もしなくはないのである^^;。特に孫権の場合,未知の物への興味は結構すごいから^^;。
- 仏教が中国で中心となってくるのは,五胡十六国時代の後趙の第三代皇帝・石虎(武帝)が,仏教を擁護して以降の事である。なぜ彼が仏教を擁護したかというと,仏教の力を借りて,儒教(中華思想)に対抗しようとしたからであり,孫権にも儒の思想からの脱却という目的があった??というのは考えすぎであろうか。うん・・たぶん考えすぎだな^^;。孫権はお寺を作ってみたかっただけでしょう。彼の性格からしても^^;。 ▲ -孫権伝 了-