【 孫権・曹操・劉備・・それぞれの内情 】
  • 曹操との抗戦を決めた孫権は,周瑜と程普を総大将とする3万の部隊を夏口に向かわせる。その軍容は,
    • 左都督 周瑜
    • 右都督 程普
    • 賛軍校尉 魯粛
    • 参加武将 呂蒙・黄蓋・韓当・周泰・甘寧・凌統・呂範
    というものである。所で,この時の赤壁の布陣については歴史群雄シリーズ(いわゆる赤本)などで,ずいぶんと詳しい呉軍と魏軍の布陣が書かれている。陸軍本隊が孫賁と陸遜と潘璋で,後隊が朱治と呂範で,広陵守備軍が顧雍と孫静と孫桓・・・とかいう物である。この布陣図は結構色んな所で採用されている。しかし正史を見る限りそんな詳しい記述はなく,これが一体どういう根拠で書かれたものなのかよく分からない。『中国歴代戦争史』より,と書かれてはいるのだが,これ一体どういう本なんでしょうか?知っている人いたら情報お願いします。しかしパッとみても,官につく前に死んだはずの孫匡が長水校尉として参加していたり,正史では赤壁で周瑜らと共に曹操を破ったとある呂範が後軍にいたり,極めつけは孫静が丹陽太守だったり,(この頃の丹陽太守は孫瑜です。)この頃はまだガキだったはずの孫桓が広陵守備軍として名を連ねたりしていて,(孫桓はその後,劉備が京城に来た時,まだガキンチョでした。この当時軍を率いているはずがありません。)イマイチ信頼が置けません。とりあえず,ここでは正史で赤壁に参加したとある武将だけ挙げときます。
  • 周瑜らは3万の兵を率いて夏口で劉備軍と合流する。劉備は頼みの孫権軍を迎えたが,その軍の少なさに愕然としたはずである。仮にも揚州の覇者である孫権の軍である。曹操軍までは行かなくても最低でも7~8万の軍は来ると思っていたはずだ。荊州の軍も7~8万とあり,それと同等の軍は期待していただろう。3万では話にならない。しかし孫権には,これがすぐに動員できる兵の限界だったと思われる。江東は山越の反乱があり,各地に鎮圧軍を置く必要があったため,その軍まで動員することは山越の反乱を呼ぶようなものだったのである。曹操軍20数万に対して孫権・劉備連合軍は4万弱。圧倒的不利は依然変わらない。さらに呉軍には軍内部の内紛があった。それは孫権が軍の司令官を二人置いた事に発する。程普は孫堅以来の宿将であり,自分がこの戦いを指揮するべきと考えていたのである。周瑜の下で指揮を受けるのは屈辱だったのだろう。後に呂蒙が関羽討伐を命じられた時にも,孫権は司令官に呂蒙と孫皎の二名を指名して,これに怒った呂蒙は『赤壁で周瑜と程普が反目した事の二の舞になりますよ!!どっちか一人にして下さい。』と孫権に詰めより,なんとか司令官を一人にしてもらったのである。呂蒙がその事を出さなくてはならないくらい,この時周瑜と程普の主導権争いは深刻で,下手をすれば曹操と戦うどころの話ではなくなっていた。さらに,反目し合っていたのは司令官同士だけではない。凌統は父を甘寧に殺されており,何かにつけて甘寧を付けねらっていたのである。しかも甘寧はイケイケ野郎なので凌統に詫びを入れるつもりなんて毛頭ない。これまた下手をすれば曹操を叩くのではなく孫権軍同士で部隊衝突しかねなかった。孫権軍が一丸でなかったのは,曹操に対するギミックでもなんでもなく,本当の事だったのである。
  • さて,次に曹操軍の内情である。尋常でない大軍を率いてやってきたのは良いものの,既にこの頃,軍内部に疫病が流行り,まともに戦争ができる状態ではなくなってしまっていたのである。中原と江東ではまず湿度が違う。乾燥した北部に比べ,長江一帯は降水量が多く,それだけでも風土が違う。慣れない風土に疫病に長期に渡る遠征と,悪条件が揃ってしまっていた。それに水軍を運用できる人材の不足は深刻だったと思われる。周瑜伝には曹操軍の船団は船首と船尾がくっつき合った状態にあるから・・・とあり,これは阪南大学講師の北村たかしさんによると,水軍運用の常識から逸脱しているらしい。(歴史群雄シリーズ・真三国志より。)荊州の水軍を得たのは良いものの,それを指揮するのが水軍の運用の素人なら,宝の持ち腐れである。そういうわけで曹操軍もこの大軍は戦うためと言うより,威圧して降服させるか,孫権軍の内部分裂を誘って自滅させるのが主目的となっていたのである。
  • さらに同盟者である劉備。劉備にして見れば最後の賭けをするには,孫権軍は少なすぎた。そのため劉備は今後の再起の事も考慮に入れて,積極的に軍を動かさなかった可能性がある。なぜなら,赤壁ほどの大勝でありながら,蜀書の方には赤壁での劉備軍の功績が一切書かれていないのである。いくら蜀には正式な歴史官がいなかったとはいえ,これは異常であろう。劉備は孫権が敗れた後の事も考えなくてはならなかった。そのためなるべく軍を温存しておきたかったのではないだろうか?
  • 赤壁の戦いは,孫権・曹操・劉備それぞれの内情を抱えながら,幕は降ろされていった。